寝る前に

ちいさな物語

#607 幼馴染が俺を好きらしいがそんなわけがない

「好き」高校二年の秋。放課後の教室で、幼馴染の七瀬が突然そう言った。反射的に後ろを見た。誰もいない。いや待て。こういう時って大抵、どこかに友だちが隠れているんだよ。スマホで撮影していて、俺が調子に乗った途端に「うぇーい!」って出てくるてはず...
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#603 扉職人の理

なあ、あんた。そこにある古びた木の扉を見てくれよ。ただの板切れに見えるかもしれないが、こいつが完成したときには、ここから一歩踏み出すだけで遥か遠くの異国へ行けるようになるんだ。俺はこれを作る扉職人の弟子だ。師匠は、この道では知らない者がいな...
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#602 つまずく理由

夏の気配が混じり始めた午後の日差しを浴びながら、私は駅前の広場にあるベンチに腰を下ろした。手元には、コンビニで買ったばかりの少し甘すぎるカフェオレがある。午前中の会議で削り取られた精神を修復するには、このくらいの糖分がちょうどいい。ふと目を...
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#601 多すぎた祝福

王子の誕生に、二千もの妖精が祝福を授けた。完璧に生まれついた王子に、ただひとつだけ、足りないものがあった。
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#592 五人の僧侶

昔々、あるところに、ひとりの旅人がおったんじゃよ。その旅人はな、自分の蓄えさえ乏しいのに、困っている人を見ると放っておけない。それはそれは心のやさしい男だったんじゃ。ある時、男は険しい山道を越えて、遠くの町へと向かっておった。山の中は風が冷...
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#588 サービスタイム

うちの近所のスーパーは、夕方六時を過ぎると空気が変わる。惣菜コーナー周辺を中心に客の様子が不自然になるのだ。誰もが興味なさそうな顔をしながら、何度も同じ場所をうろうろし始める。全員、似たような軌道を描きながら、回遊魚のごとく店内を回り始める...
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#579 はさまれているもの

市立図書館で働きはじめて三日目、返却ポストの中から、私は一冊の古い短編集を手にしていた。背表紙は日に焼け、表紙もびっくりするほどぼろぼろだ。随分と古い本だなと、パラパラとめくってみた。すると、頁の間から薄い和紙に包まれた麦の穂が一本、はらり...
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#577 意識高い系ねこの哲学

雨の降る土曜日だった。路地裏の段ボール箱にいたのは、震える子猫……ではなく、どこか遠い未来を見据えているかのような眼差しをした一匹のサバトラ猫だった。「ニャア(お前、リソースに余裕はありそうだな。アライアンスを組まないか?)」猫の鳴き声と二...
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#573 忘れられた場所

王都へ向かうため、私は日暮れの乗合馬車に乗った。地図師ギルドの見習いになったばかりで、胸の中はやる気よりも、失敗して笑われた記憶のほうでいっぱいだ。馬車は古く、扉には消えかけた紋章があり、御者は深く頭巾をかぶって顔を見せない。青いランタンが...
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#572 銀のティースプーン

市の外れにひっそりと佇むその洋館は、明治時代に建てられた実業家の別邸だったという。現在は市の資料館として公開されているが、訪れる人はまばらだ。赤レンガの壁には蔦が絡まり、窓ガラスは当時の手吹きガラス特有の歪みを湛えている。私と友人の結衣は、...