寝る前に

ちいさな物語

647 硝子の瞳の人形

旅路の途中で、私は「ささやきの入江」と呼ばれる湖に立ち寄った。水際に腰を下ろし、旅の疲れで熱を持った足を冷たい水に浸そうとしたとき、指先に硬いものが触れた。引き上げてみると、それは泥にまみれたガラスの瞳を持つ小さな木彫りの人形だった。年月を...
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#639 時を奏ねるクジラ

港の最果てにたたずむ赤レンガ造りの第五倉庫は、半世紀以上も前に閉鎖されて以来、人々の記憶から消え去り、置き去りにされたかのように静まり返っていた。夏の終わりの大規模な湾岸再開発計画に伴い、私は解体前の物品整理を行うアルバイトに応募したのだっ...
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#638 不在の証明

平日の午後の美術館は、まるで世界の底に沈んでしまったかのように静まり返っていた。私は特に目的もなく、ただ突然に降り出した激しい雨から逃れるために、その古い建物へと足を踏み入れた。湿った空気の漂う薄暗い展示室の最奥に、他とは明らかに雰囲気の異...
ちいさな物語

#635 世界を彩る

ある朝、目を覚ますと、妻が私のことを「アジサイ」と呼んだ。私はまじまじと彼女を見たが、その表情は至って真面目だった。外出の準備をしようと、財布から運転免許証を取り出してみると、氏名欄には確かに太いゴシック体で「アジサイ」と印刷されていた。ス...
ちいさな物語

#633 銀色の鳥

保科の目に見える世界はいつも色で満ちていた。彼は自他共に認めるほど強い霊感と、共感覚シナスタジアの持ち主だった。しかし、彼が見るものは、世間で恐れられているようなおどろおどろしい幽霊の姿ではない。保科の霊感が捉えるのは、人々がその場所で発す...
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#628 時の器

遠藤はいつも、スマートウォッチの画面に表示されるデジタル時計と睨み合っていた。次のアポイントまであと十四分二十五秒、資料の修正に使えるのはわずか八分四十八秒。彼の頭の中には分刻み、いや秒刻みの予定表が広がっていた。無駄な時間は一秒たりとも存...
ちいさな物語

#626 居酒屋の観察者

私はお酒がほとんど飲めない。カシスオレンジを一杯飲むだけで顔が真っ赤になり、二杯目には頭痛が始まるほどだ。そんな私が、毎週末になると決まって居酒屋へ足を運ぶ。目的はお酒ではなく、おいしい食事とそこに集まる人間たちの営みだ。居酒屋という場所は...
ちいさな物語

#623  三人のアオ

あれは、今年の梅雨が始まったばかりの、ひどく蒸し暑い日のことでした。私はSNSで知り合った「アオ」という人物と、初めて対面することになっていたのです。お互いに素性は知らず、アカウントのアイコンはきれいな青空の写真だけでした。数ヶ月の間、私た...
ちいさな物語

#621 山の神さまと生贄おみつ

これはいまからずっと昔、この村の奥にそびえ立つ高い山に、恐ろしいと思われていた神さまが住んでいた頃のお話だよ。その神さまはね、一年に一度だけ、村で一番うつくしい若い娘を生贄として欲しがると、みんなに信じられていたんだ。もし生贄を捧げなければ...
SF

#614 宇宙チャーハン

漆黒の宇宙空間を小型探査艇が力なく漂っていた。宇宙探査士のレイは、操縦席で深くため息をついた。「よりによって、こんな銀河の果てで燃料切れ。おまけに食糧まで底をつくなんて……」主推進炉はとうに沈黙し、反応質タンクの残量表示はゼロを示していた。...