これはいまからずっと昔、この村の奥にそびえ立つ高い山に、恐ろしいと思われていた神さまが住んでいた頃のお話だよ。
その神さまはね、一年に一度だけ、村で一番うつくしい若い娘を生贄として欲しがると、みんなに信じられていたんだ。
もし生贄を捧げなければ、山が怒って大雨を降らせ、村を丸ごと流してしまうと言われていたんだね。
だから村の人たちは、毎年秋になると暗い顔をして、若い娘たちの中から、くじ引きで一人を選んで山へ送っていたんだよ。
ある年、その恐ろしい生贄に選ばれてしまったのが、おみつという名前の、心優しい女の子だったんだ。
おみつには親がいなくてね、まだ小さな弟と二人きりで、身を寄せ合って暮らしていたんだよ。
自分が山へ行けば残された弟はどうなるんだろうと、おみつは毎日、弟を抱きしめて涙を流したんだ。
けれど、村の決まりを破るわけにはいかないから、おみつは覚悟を決めて真っ白な着物を着たんだね。
村の大人たちは申し訳なさそうにうつむきながら、おみつを山の入り口で静かに見送った。
おみつは小さな体でとぼとぼと一人きり、草の生い茂る薄暗い山道を登っていったんだ。
夜の山は静かで、風が木々を揺らす音が怪物のうめき声のように聞こえて、おみつは怖くて仕方がなかった。
足元が暗くて転びそうになりながらも、残してきた弟の幸せだけを祈りながら、一歩一歩進んだんだね。
夜が深まった頃、おみつはついに山頂にある、古びた大きな社にたどり着いたんだ。
社の周りには霧が立ち込め、中からはゴーゴーと地響きのような不気味な音が響いていたんだよ。
おみつは恐怖で逃げ出したくなったけれど、社の前にひざまずいて大きな声で言ったんだ。
「山の神さま、どうぞ私を食べて、その代わりに村のみんなと私の弟をお守りください」と叫んだんだね。
すると、目の前にある重い木の扉が、ガタガタと音を立ててゆっくりと開いていったんだよ。
おみつは、恐ろしい大蛇や鬼が現れるのだと思って、もうおしまいだとぎゅっと目を閉じたんだね。
ところが、しばらく待っても何も起きないから恐る恐る目を開けると、そこには意外な姿があったんだ。
そこにいたのは、長い白い髭を蓄えた、とても小さくてやさしそうなおじいさんだったんだよ。
おじいさんは、おみつの真っ白な着物と涙で濡れた顔を見て、ひどく悲しそうな顔をしたんだね。
「また村の者が、こんなに小さな子供を置いていったのか」と、おじいさんは深いため息をついたんだ。
おみつは驚いて、袖で涙を拭きながら「あなたは私を食べないのですか」と尋ねたんだよ。
すると山の神さまは、カッカッカと笑って、おみつの頭をやさしく撫でてくれたんだね。
「わしは人を食べたことなどないし、生贄などという残酷なものを頼んだ覚えは一度もないよ」
大昔に嵐で山が崩れたとき、村人がそれを神さまの怒りだと勘違いしたのが始まりらしいんだ。
村人が勝手に怯えて毎年娘を置いていくから、神さまは彼女たちを山の向こうの大きな町へ逃がしていたんだって。
「お前もあの町へ行くがよい、あそこなら寂しい思いをせずに暮らせるだろう」と神さまは言ったんだよ。
けれどおみつは首を横に振って、村に残してきた大切な弟のことを神さまに一生懸命に話したんだね。
自分が戻らなければ村人は怯え続けるし、何より幼い弟を一人きりにしたくないと、涙をこぼしたんだ。
神さまはおみつのやさしい心にひどく胸を打たれて、白い髭を触りながらじっと考え込んでしまったんだよ。
「よし、お前のその強いやさしさに免じて、この悲しい悪習を今年で終わりにしよう」と神さまは言ったんだね。
神さまは社の奥から、金色に輝く不思議な木の実がついた、一本の立派な枝を取り出しておみつに手渡したんだ。
「村人に山を恐れるなと伝えよ。これからは生贄ではなく、恵みに感謝する祭りをひらきなさいとな」
おみつは神さまに何度も頭を下げてお礼を言うと、明けていく山道を真っ直ぐに駆け下りていったんだ。
朝方に村へ戻ったおみつを見て、村の人たちは幽霊が帰ってきたと思って腰を抜かさんばかりに驚いたんだよ。
おみつは神さまから預かった輝く枝を掲げて、神さまのやさしさを村のみんなに説明したんだ。
村人たちは最初はおみつが生贄を逃れようとしてそんなことを言っているのだと思ってしまった。
だが、おみつの持ち帰った枝が光り輝き、良い香りが広がっているのを見て、「こんな枝は見たことがない」「神さまからの贈り物に違いない」と納得したんだね。
やがてその枝は根づき、おどろくほど早く大きな木になって、その実はどんな病にもよく効いた。
それで、おみつの話は本当だったと誰一人うたがわなくなった。
それから、村では生贄の悪習はなくなり、代わりに秋になると恵みを祝うお祭りが始まったんだ。
おみつは弟と幸せに暮らしながら、毎年のお祭りの日にはとびっきりのおいしいお団子を作って供えたんだよ。
その日にはね、山から優しくて穏やかな風が吹いてきて、まるで神さまが嬉しそうに笑っているみたいだったんだって。
おばあちゃんのお話はこれでおしまい、さあ、もう夜も遅いから、ゆっくり目を閉じておやすみ。


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