ほっこり

ちいさな物語

#628 時の器

遠藤はいつも、スマートウォッチの画面に表示されるデジタル時計と睨み合っていた。次のアポイントまであと十四分二十五秒、資料の修正に使えるのはわずか八分四十八秒。彼の頭の中には分刻み、いや秒刻みの予定表が広がっていた。無駄な時間は一秒たりとも存...
ちいさな物語

#626 居酒屋の観察者

私はお酒がほとんど飲めない。カシスオレンジを一杯飲むだけで顔が真っ赤になり、二杯目には頭痛が始まるほどだ。そんな私が、毎週末になると決まって居酒屋へ足を運ぶ。目的はお酒ではなく、おいしい食事とそこに集まる人間たちの営みだ。居酒屋という場所は...
ちいさな物語

#623  三人のアオ

あれは、今年の梅雨が始まったばかりの、ひどく蒸し暑い日のことでした。私はSNSで知り合った「アオ」という人物と、初めて対面することになっていたのです。お互いに素性は知らず、アカウントのアイコンはきれいな青空の写真だけでした。数ヶ月の間、私た...
ちいさな物語

#621 山の神さまと生贄おみつ

これはいまからずっと昔、この村の奥にそびえ立つ高い山に、恐ろしいと思われていた神さまが住んでいた頃のお話だよ。その神さまはね、一年に一度だけ、村で一番うつくしい若い娘を生贄として欲しがると、みんなに信じられていたんだ。もし生贄を捧げなければ...
ちいさな物語

#616 白いリレー

毎朝の通勤路は、決まりきった景色の繰り返しで退屈なものだった。しかし、その日の朝だけは、いつもと違う出来事が起きた。私の数歩前を歩いていた女性が、ポケットから何かを落としたのだ。それは、綺麗に折りたたまれた真っ白なハンカチだった。私は慌てて...
SF

#614 宇宙チャーハン

漆黒の宇宙空間を小型探査艇が力なく漂っていた。宇宙探査士のレイは、操縦席で深くため息をついた。「よりによって、こんな銀河の果てで燃料切れ。おまけに食糧まで底をつくなんて……」主推進炉はとうに沈黙し、反応質タンクの残量表示はゼロを示していた。...
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#608 古道具屋の記憶

陽翔はるとは、自分の手が嫌いだった。物に触れるたび、その物のどうでもいい記憶ばかりが一方的に流れ込んでくるからだ。消しゴムを拾えば、昨日だれの机から転がり落ちたのか見えてくる。駅の手すりを握れば、この手すりに触れたであろう何人もの手のひらが...
ちいさな物語

#606 部屋にいる人

四歳の息子が描く家族の絵に、見知らぬ人物が一人、また一人と増えていく。「まだ描きたい人がいるの」——。
ちいさな物語

#603 扉職人の理

なあ、あんた。そこにある古びた木の扉を見てくれよ。ただの板切れに見えるかもしれないが、こいつが完成したときには、ここから一歩踏み出すだけで遥か遠くの異国へ行けるようになるんだ。俺はこれを作る扉職人の弟子だ。師匠は、この道では知らない者がいな...
ちいさな物語

#601 多すぎた祝福

王子の誕生に、二千もの妖精が祝福を授けた。完璧に生まれついた王子に、ただひとつだけ、足りないものがあった。