考えさせられる

ちいさな物語

#649 森の底で眠る調律の王

その森は、厳密にはどの国の領土にも属していないと言われていた。原生林が何キロメートルにもわたって広がり、航空写真で見てもただの深い緑の絨毯にしか見えない場所。私は地質調査の専門家として、ある特殊な地殻変動のデータを追ううちに、その未踏の森へ...
ちいさな物語

#643 待合室の扉

僕には、幼い頃からずっと誰にも言えない秘密がある。言えないというか、言ってもどうせ「ただの夢だ」と言われるだけの秘密だ。人は誰でも寝ている間に夢を見るけれど、夢に入る前に必ず通される場所があることを知っている人はいない。そこは、驚くほど真っ...
ちいさな物語

#642 何もない空き地

地方都市の片隅に、特別何の特徴もない空き地が存在していた。周囲を錆びついた金網フェンスに囲まれており、中は雑草が生い茂るばかり。通りかかる誰もが一瞥すらせず素通りするような、まったく顧みられない空き地だった。ある秋の午後のこと、互いに面識の...
ちいさな物語

#641 記憶をすする

森の影が長くなり、太陽が地平線の向こうへと沈みきった頃、私はその洋館を見つけた。周囲には獣の鳴き声ひとつ響かず、ただ風が木々を揺らす乾いた音だけが耳を刺していた。地図にも載っていない、およそ人が住んでいるとは思えない古びたレンガ造りの館だっ...
ちいさな物語

#639 時を奏ねるクジラ

港の最果てにたたずむ赤レンガ造りの第五倉庫は、半世紀以上も前に閉鎖されて以来、人々の記憶から消え去り、置き去りにされたかのように静まり返っていた。夏の終わりの大規模な湾岸再開発計画に伴い、私は解体前の物品整理を行うアルバイトに応募したのだっ...
ちいさな物語

#638 不在の証明

平日の午後の美術館は、まるで世界の底に沈んでしまったかのように静まり返っていた。私は特に目的もなく、ただ突然に降り出した激しい雨から逃れるために、その古い建物へと足を踏み入れた。湿った空気の漂う薄暗い展示室の最奥に、他とは明らかに雰囲気の異...
SF

#636 宇宙が交差する洞窟

地質学者のハヤトは、特別な許可を得て、未踏の洞窟「グラヴィティ・コア」の内部調査を単独で行っていた。この洞窟は、内部の重力異常が報告されており、最新の観測機器でも奥の構造が捉えられない謎の場所だった。ハヤトがライトの光を頼りに進むと、壁面に...
ちいさな物語

#635 世界を彩る

ある朝、目を覚ますと、妻が私のことを「アジサイ」と呼んだ。私はまじまじと彼女を見たが、その表情は至って真面目だった。外出の準備をしようと、財布から運転免許証を取り出してみると、氏名欄には確かに太いゴシック体で「アジサイ」と印刷されていた。ス...
ちいさな物語

#629 宇宙を湛える器

ある朝、坂本が目を覚ますと、六畳間の真ん中に白い洗面器が置かれていた。それはいたって平凡な、どこにでも売っているプラスチック製の洗面器だった。ただ一つ奇妙だったのは、その中に澄んだ水がなみなみと張られていることだった。坂本は首を傾げながら、...
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#618 育つ山

工藤の趣味は登山だった。休日になるといそいそと山へ出かけて行く。その日は、初心者向けの低山で軽い登山を楽しむ予定だった。しかし、その日はいつもと違う奇妙な感覚に囚われていた。登り慣れたはずの軽めの山。しかし、気がつけば周囲の景色は見覚えのな...