#620 Bluetooth

ちいさな物語

あ、次は私の番ですね。

霊感とかがないので幽霊の話とかじゃないんですが……私が数年前に体験した話をさせてください。

当時、私は大学を卒業したばかりで、古いマンションで一人暮らしを始めたところでした。

格安物件でしたが、初めての一人暮らしということもあって、静かで快適な生活を送っていました。

異変が起きたのは、夏の蒸し暑い夜、ベッドでスマートフォンを眺めていた時です。

突然、画面に見知らぬデバイスからBluetooth接続要求が表示されました。

端末名は、英数字が不規則に並んだ何の機器かわからない文字列でした。

集合住宅だから、隣の部屋からBluetoothを拾ってしまうようなこともあるんだろう。

私は気に留めることもなく拒否ボタンを押し、そのまま眠りにつきました。

しかしそれから、毎晩のように同じ時間帯にBluetoothの接続要求が届くようになったのです。

何度も拒否するうちになんとなく不気味さを感じはじめました。

毎日、同じ時間に接続要求が来るってちょっと変じゃないですか。

頻繁に使う機器だったら、自分のスマホに自動的に接続されますよね。

なんていうんでしたっけ、あれ。あ、そうです。正常性バイアス!

ちょっとおかしいけど、隣の人はよっぽど変な設定にしているのかなと、無理やり自分を納得させました。

そんなある夜、いつものように表示された画面を見て私は硬直しました。

端末名が、無機質な英数字ではなく日本語に変えられていたからです。

画面にはただ一言「まだおきてるの?」と表示されていました。

背筋が凍るのを感じながらも、私は近所の誰かの悪戯だと言い聞かせました。

誰かがふざけて端末名を変え、電波の届く不特定多数に送りつけているだけだと。

私は電源を完全に切り、布団を頭から被って眠ってしまいました。

次の日の夜、私は恐る恐る画面を注視してその時間を待ちました。

どうしても気になってしまったんです。あれは気のせいだったって確認したくて。

そして、いつもの時間――予期していた通りに接続要求が入りました。

今度の端末名は、私の恐怖をさらに煽る文言に変わっていました。

画面に浮かび上がっていたのは、「あつくないの?」という言葉でした。

その時、私は節約のためエアコンをつけず、汗をかきながら過ごしていたのです。まだ真夏ではないから電気代がもったいないと思って……。

単なる偶然だと自分に言い聞かせましたが、鼓動は激しくなる一方でした。

それから端末名は毎晩変わり、私の部屋の状況を正確に実況し始めました。

「テレビみてるね」

「そのふく、にあってるよ」とメッセージが届くのです。

誰かが私の部屋を、どこからか確実に盗み見ているのだと確信しました。

盗撮カメラを疑い、私は発見器を購入して部屋中を徹底的に調べました。

コンセントの裏や換気扇の中まで探しましたが、何も見つかりません。

カーテンを閉め切って視線を遮断しても、端末名の変化は止まりません。

部屋の模様替えをした直後には、「ベッドそこにしたんだ」と来ました。

どこから見られているか分からない恐怖で、私は精神的に追い詰められました。

そして、ついにその限界を迎えた夜、決定的な瞬間が訪れます。

ある夜、届いた接続要求の端末名は「エアコンのあな」でした。

私は立ち上がり、壁の上部にあるエアコンのダクト穴を見上げました。

普段はパテで塞がれているはずの穴を、椅子を持ってきて観察します。

よく見ると、固くなったパテの隙間に小さな空洞が作られていました。

その暗闇の奥にスマートフォンのライトを当てた瞬間、血が凍りつきます。

ダクト穴の向こう側から、こちらを凝視している人間の目と合いました。

私はそのまま警察に通報し、近くのコンビニに逃げ込みました。

翌日、警察の捜査によって判明したのは信じられない事実でした。

ダクトの先は、建物の隙間にある人がやっと入れる隙間に通じていたのです。

そこにファイバースコープを差し込み、覗いていた犯人が逮捕されました。

ファイバースコープ?

私は誰かと目が合ったんだけど?

そんな違和感もささいなことのように思いました。何しろ捕まったのは、隣の部屋に住む、やさしそうな男性だったんです。

もう誰も信じられないと思いました。

彼は壁に小さな穴をあけ、盗撮の準備を数ヶ月かけて進めていたそうです。機械周りに詳しい人だったらしく、Bluetoothの通知もちょっとした仕掛けがあったのだと教えてもらいました。普通、こちらがペアリングモードにしない限り、勝手に通知が入ることはないのだそうです。そんなことも知らずに、私は本当に世間知らずでした。

私はすぐに実家に戻りました。それでもあの恐怖が消えることはありません。

夜中にブブッとスマホが震えるたびに、体が固まってしまいます。

自室のどこかに、また小さな穴があいているのではないかと想像して叫び出しそうになることもあるんです。

――これで私の話は終わり。幽霊の話じゃなくてすみません。

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