#192 手袋、怒りの暴走

ちいさな物語

冬の公園のベンチに、ぽつんと落ちていた赤い手袋。それは右手だけのさみしい存在だった。

「ご主人はきっとすぐに戻ってくる!」

片手袋は前向きだった。だが、一日経ち、二日経ち、ついには一週間経っても、彼女の持ち主は姿を見せなかった。

通りかかった老婦人に「かわいそうに」と言われたり、犬にちょっとかじられたり、いたずらっ子に拾われて木の枝に刺されたりして散々な日々を送った。

それでも片手袋は耐えた。なぜなら「ご主人はきっと私を探している」と信じていたから。

しかし、やがて桜が咲き始めた頃、彼女の堪忍袋の緒はついにブチ切れた。

「ふざけんじゃないわよ!」

片手袋は唐突に叫んだ(手袋の口は手を差し入れるところにある)。

「散々待ったのに、結局、もう春!」

怒り心頭の片手袋は、ベンチから跳ねて、まるで妖怪のように踊りだした。最初に近くのゴミ箱を蹴り飛ばし、次に通りすがりのカラスを威嚇し、ベンチの下で昼寝をしていた猫をびっくりさせた。

「あーあ、腹が立つ!」

片手袋は怒りのあまりベンチの横の桜の木にのぼり、桜の花びらをむしってはばら撒いた。公園の管理人のおじさんが目を丸くして片手袋を見上げたが、動く手袋など理解できるはずもなく、「疲れてるのかな」と目をこすった。

怒りが収まらない片手袋はさらに公園を出て街へ向かった。片手袋はもう誰にも止められなかった。

商店街では八百屋のリンゴを放り投げ、パン屋のクロワッサンをむちゃくちゃに積み上げ、魚屋の氷の上をスケートよろしく滑りまくった。

町中はもう大騒ぎだ。

「誰かあの片手袋を止めて!」

「中に何か入ってるの? 怖い!」

警官まで登場したが、怒れる片手袋のパワーには敵わない。警官たちは片手袋に翻弄されてバタバタと走り回った。

そんな騒ぎを遠くから見ていた少女が、「あれ、私の手袋に似てる……?」と呟いた。

そう、片手袋の主人がついに現れたのだ。だが、彼女が片手袋に近づくと、片手袋は振り返り、猛烈な勢いで突進した。

「あんたねえ! 今さら遅い! 帰らないからね!」

少女は驚きながらも、必死で謝った。

「ごめん、本当にずっと、ずっと探してたの! 証拠に、ほら」

少女のポケットから左手袋が顔を出した。行方不明の右手袋と一緒にするために春になっても毎日持っていたのだ。

片手袋の怒りが急激にしぼんだ。ずっと待っていた言葉を聞いた片手袋は、急にしんみりとうつむく。

「も、もう……バカ……」

手袋は力をなくして地面に落ちた。

少女はその手袋をやさしく拾い上げ、微笑んだ。

町の人々は呆然と見守る中、手袋は静かに少女のポケットに収まり、次の冬を夢見て眠りについたのだった。

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