#452 コンビニ三途の川支店

ちいさな物語

その日、俺は田舎の山道を歩いていた。旅行中にバスを乗り間違え、最寄りの駅まで歩く羽目になったのだ。辺りは薄暗くなり、人気はまるでない。

「やばいな、スマホの電池も切れそうだし……」

その時、不意に明かりが見えた。

「コンビニ?」

こんな山奥に? だが、確かに見慣れたチェーン店のロゴが掲げられている。それを見ただけでほっとする。疲れ果てていた俺は、何の疑いもなく自動ドアをくぐった。

「いらっしゃいませぇ」

店員の声が響く。だが、何か様子が変だ。

店内は確かに某チェーンのコンビニのレイアウトだが、日用品コーナーの棚には見たことのないものばかりが並んでいた。

「冥銭」

「六文セット」

「守り刀」

雑誌コーナーも変だ。『三途の川、石積み攻略!』『かしこい奪衣婆回避術』『地獄の沙汰も金次第! 今から始めるカンタン投資』

極めつけが、店の奥にある「冥土の土産コーナー」。

「……なんだこれ?」

弁当コーナーを覗くと、「渡し守弁当」と書かれたパックが置かれていた。値札の横には「渡賃片道分無料キャンペーン」とある。

なにか、こういう変わったイベント中なのかな……。

「お客様、お困りですか?」

振り向くと、レジの店員がにっこり微笑んでいた。よく見る制服だが、血の気のない顔でやたらと変わったメイクをしている。

「あの、ちょっと迷子になっちゃったんですけど、こ、ここって、その……どこですか?」

「こちら、◯◯◯三途の川支店でございます」

三途の川。

それが何を意味するのか理解した瞬間、心臓が跳ね上がった。

「……俺、死んでるの?」

「いえいえ、お客様は生者とお見受けします。迷い込まれたのですね。この場合は、いっそのこと死んじゃうか、戻るかの二択になりますが」

冗談にしては笑えない。俺は唾を飲み込んだ。「戻る方法は?」

店員は奥を指さした。そこには自動ドアがあり、裏口のような駐車場へ続いている。黒塗りの軽バンが一台停まっていた。コンビニ配送の車によく似ているが、フロントガラスには「冥土物流」と白文字で書かれている。

「定期配送便がもうすぐ出発します。運転手に頼めば現世までお送りできますよ。ただし……」

「ただし?」

「道中、決して振り返ってはいけません。後部座席に何が乗ってきても、絶対に」

嫌な汗が背中を伝う。けれど、ここに居続けるのはもっと嫌だった。店員に頭を下げて外へ出ると、ちょうど運転手が車に荷物を積み終えていた。真っ黒な作業服に白い軍手をして、顔は影のように判然としない。

「乗るんだな?」

「……お願いします」

ドアが開き、俺は後部座席に腰を下ろした。シートは冷たく、妙に湿っている。エンジンがかかり、車は静かに走り出した。

窓の外は霧に包まれ、どこを走っているのか分からない。ときどき人影のようなものが路肩に並んでいたが、みな無表情でこちらを見ている気がした。耳の奥で、誰かが囁くような声が続く。

――おいで。

――一緒に川を渡ろうよ。

――振り返って。

心臓が喉元まで跳ね上がる。視線は前だけを見ろ、と必死に自分に言い聞かせる。バックミラーに時折妙なものが映っては消えた。

やがて、車が停車する。運転手が低い声で言った。

「降りろ。ここから先は歩くしかない。しつこいかもしれないが、最後の注意だ。ドアを閉めたら、後ろを絶対に振り返るな」

ドアが開く。冷たい夜風が流れ込んだ。俺は足を踏み出す。そこは、見覚えのある舗装された山道だった。遠くに駅の看板の灯りがかすかに見える。

ドアを閉める音が背中で響く。

その瞬間、背後から確かに「ガサリ」と何かが這い出す気配がした。人の呼吸にも似た湿った音。無数の視線が背中に突き刺さる。全身が総毛立つ。音の正体を確認したい。強い衝動が襲いかかる。

「振り返るな……!」

自分にそう言い聞かせ、歯を食いしばって前へ歩いた。

ガサリ、ガサリと何かが後ろから着いてくる音がしていた。もしかして後ろから襲いかかってくるのではないかと気が気じゃない。振り返って確認してしまいたい……。

しかし、そこから一歩一歩を進むごとに気配は遠ざかっていった。やがて駅前の街灯が目の前に現れ、気配はふっと消えた。

振り返ると、そこにはただ暗い山道が続くだけだった。配送車も、霧も、影もない。

ほっとした瞬間、ポケットのスマホが震えた。画面にはありえない通知が浮かんでいる。

「今、振り返りましたね」

バッテリー残量はゼロのはずなのに、通知は消えずに光り続けていた。

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