#636 宇宙が交差する洞窟

SF

地質学者のハヤトは、特別な許可を得て、未踏の洞窟「グラヴィティ・コア」の内部調査を単独で行っていた。

この洞窟は、内部の重力異常が報告されており、最新の観測機器でも奥の構造が捉えられない謎の場所だった。

ハヤトがライトの光を頼りに進むと、壁面に埋め込まれた結晶体が、奇妙な周期で明滅を繰り返していることに気づいた。

「前回の予備調査ではこんなものはなかったぞ」

他の調査員からもそんな報告は入っていない。

しかもその光は単なる反射ではなく、まるでホログラムのように、見たこともない高度な結晶都市の風景を映し出していた。

驚いた彼が壁に手を触れると、手のひらが物質の壁を透過し、冷たい風が向こう側から吹き抜けてきた。

そこには、この宇宙とは異なる歴史を歩んだ、もう一つの並行世界の姿が広がっていた。

ハヤトは引き返すべきだと本能で感じ取っていたが、強い好奇心が彼をさらに奥へと突き動かした。

進むにつれて通路は複雑に入り組み、空間そのものがねじれていくような感覚が襲った。

ふと足元を見ると、光源は一つなのに自分の影がいくつにも分裂し、それぞれが異なる動きをしていた。

ある影は立ち止まり、ある影は右の通路を進み、またある影は怯えて引き返そうとしていた。

それは、彼がこれまでの人生で選択してきた「もしもの可能性」が、この空間で具現化しているようだった。

ハヤトは息を呑みながら、無数の選択の道を見つめた。そして覚悟を決めてその中のひとつを選んだ。

さらに深部へ進むにつれて、重力の方向が激しく変化し、上下の概念すら曖昧になっていった。

眩暈に耐えながら、ついに彼は、洞窟の最奥部と思われる広大な球体の空間へと到達した。

そこには、無数の光の球が浮遊しており、それぞれの中に異なる宇宙の営みが収められている――ハヤトはそう直感した。

ある球の中では人類がすでに滅亡しており、別の球の中では地球そのものが存在していなかった。

空間の中心から、言葉ではない直接的な思考の波が、ハヤトの脳裏へと流れ込んできた。

その思考は、この洞窟がマルチバースの交差点であり、すべての可能性を記録する巨大な装置であることを告げていた。

光の奔流の中で、洞窟はハヤトに、彼が望む「完璧な世界」への扉を開く用意があると提案してきた。

不治の病で失った最愛の妹が生きている世界、自分の研究が世界最高峰の称賛を浴びている世界。

ハヤトの目の前に、理想的な宇宙へと繋がる光の通路が、いくつも出現した。

彼は魅了され、成長した妹が笑顔を向けている世界の通路へ一歩を踏み出そうとした。

しかし、その瞬間、彼は自分の足元で蠢く、数え切れないほどの影たちの存在に気がついた。

それらの影は、理想を追い求めて元の世界を捨て、結局は別の後悔に囚われた、別宇宙のハヤトたちの成れの果てだった。

完璧な世界など存在せず、すべての選択にはそれ相応の痛みが伴うのだと、彼は瞬時に理解した。

深く息を吸い、目の前の光の通路から静かに目を逸らす。

「私は、自分が選んできたこの不完全な現実を生きる」と、彼は誰もいない空間に向かって告げた。

その決意に応えるように、周囲の光の球が一斉に輝きを増し、激しい閃光がハヤトの視界を染め上げた。

気がつくと、ハヤトは洞窟の入り口の前に仰向けに倒れていた。

見上げると、いつの間にか夜が明けており、澄んだ早朝の青空が広がっていた。

彼は立ち上がり、衣服についた土を払いながら、無事に生還できたことに安堵した。

いや、すべて夢だったのかもしれない……。

ポケットを探ると、調査用のノートは白紙に戻っており、洞窟の入り口も昨日とは様子が違うように感じた。

ハヤトは車に向かって歩き出し、スマートフォンの画面で日付を確認した。

日付や時間に違和感はない。体感時間と大きなずれは発生していなかった。

ただ、画面の隅にある電波のアイコンが、見たこともないデザインに変わっていた。

さらに、車のキーを取り出そうとした彼の左手には、見覚えのない小さな傷跡が刻まれていた。

小さいが、何針か縫合されたような跡だった。まったく記憶にない。

ハヤトは一瞬立ち止まり、自分が本当に「元の世界」に戻ってきたのか、それとも極めて酷似した別の宇宙に迷い込んだのかを考えた。

しかし、彼はすぐに首を振り、どちらであっても、ここで新しい選択を積み重ねていくだけだと微笑んだ。

彼がエンジンをかけると、ラジオから流れてきたのは、聞き慣れたはずの、しかし少しだけメロディの違うお気に入りの曲だった。

そのとき、助手席に放り出したままのスマートフォンが震えている音がした。

ちらりとそちらを見ると、着信画面には「ミユキ」と表示されている。

それは、まだ幼さの残る年齢で亡くなった妹の名前だった。

宇宙の真理と意思疎通できていたと、自分は錯覚していただけだったようだ。

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