#638 不在の証明

ちいさな物語

平日の午後の美術館は、まるで世界の底に沈んでしまったかのように静まり返っていた。

私は特に目的もなく、ただ突然に降り出した激しい雨から逃れるために、その古い建物へと足を踏み入れた。

湿った空気の漂う薄暗い展示室の最奥に、他とは明らかに雰囲気の異なる一枚の油絵が飾られていた。

額縁のプレートには「不在の証明」とあり、描かれているのは何の変哲もない、家具の少ない無人の洋室だった。

しかし、その絵の焦げ茶色の床を何気なく凝視した私は、その場で思わず息を呑んだ。

そこには、私がまさに昨日の夜、自宅の書斎で行方不明にしてしまったはずの、銀色の万年筆が転がっていたからだ。

クリップの根元についている小さな擦り傷の位置まで、私が長年愛用していたものと完全に一致していた。

単なる見間違いだと思い、私は何度も目をこすって見直した。しかし、やはりその万年筆は自分の持ち物であるとしか思えなかった。

私はまるで狐につままれたかのような奇妙な気分のまま、何度も後ろを振り返りながらその日は美術館を後にした。

どうしてもあの不思議な光景が頭から離れず、私は翌日の同じ時間に再びその美術館の展示室を訪れた。

昨日見た絵は変わらずそこに掛けられていた。

しかし驚いたことに、昨日まで確かに描かれていたはずの銀色の万年筆は綺麗に消え去っていた。

代わりに、部屋の古い木製机の上には、見覚えのある真鍮製の古びたキーホルダーがぽつんと置かれていた。

それは、私が高校生の時にどこかで落としてしまい、数日間にわたって激しく落ち込んだ記憶のある、大切なものだった。

私が混乱していると、すぐ隣で同じ絵を眺めていた見知らぬ老婦人が「あら、どういうことかしら」と小さく呟いた。

老婦人の視線の先、絵の中の窓辺にてんとう虫をかたどったブローチが置かれていた。

「私がなくしたブローチにそっくり」

老婦人は私がいることに気づいていないかのように、呆然とそのブローチの絵を見つめている。

この絵は見る人がこれまでの人生の中で「失くしたもの」を画面の中に映し出すのではないか。

それは妄想ともいえる思いつきだったが、そうでもないと説明がつかない。

それからというもの、私は取り憑かれたかのように、毎日のようにその小さな美術館へ通うようになった。

不思議なことに、絵は私が訪れるたび、過去の記憶の底に埋もれていた様々な紛失物の断片を、鮮やかに見せてくれた。

ある日は小学生の頃に公園で失くしたおもちゃの指輪であり、またある日はいつの間にか本棚から消えていたジュブナイル小説だった。

キャンバスに緻密に描かれるそれらは、どれもかつて私を構成し、そして私の元から永久に去っていったものばかりだった。

私は次第に、この不思議な絵が次に自分の何を画面に表示するのかが楽しみになり、同時に少しだけ怖くもあった。

まるで自分の不用意さと不完全さを、静かな展示室で突きつけられているかのような奇妙な感覚だったからだ。

それから一ヶ月が過ぎた、ひどく風の強い日の午後、館内には私以外に誰の姿も見当たらなかった。

何かに強く吸い寄せられるように、私はいつものように薄暗い最奥の壁に掛けられた「不在の証明」の前へと歩みを進めた。

今日の絵の中には、これまで何度も目にしてきたような、具体的な物品の姿はどこにも描かれていなかった。

ただ、部屋の大きなガラス窓が外に向かって力強く開け放たれ、そこから目も眩むような鮮やかな青空が広がっていた。

そして、光が差し込む窓辺の床の上に、淡い黄金色の光の粒子のようなものが、まるで生き物のように静かに揺らめいて見えた。

私はその光の塊を見た瞬間、理由も分からず胸が激しく締め付けられるような、強烈な郷愁と切なさに襲われた。

それは、私が大人という退屈な生き物になる過程で、いつの間にか心の奥底から失くしてしまった、「純粋な心」だった。

子供の頃はプールの水底の光のゆらぎ、木漏れ日、名も知らない木の実、すべり台の裏の錆、そんなものに大きく心を動かされていた。

形を持たない、しかし私の人生において最も眩しい輝きが、そこに確かに存在していた。

絵の中に描かれた誰もいない部屋は、失われた大切なものが、この世界から完全に消滅したわけではないと静かに告げていた。

それらはただ、この静謐なキャンバスの向こう側にある特別な空間で、今も変わらず大切に保管されているのだ。

私は目から溢れそうになる涙を何度も手の甲で拭いながら、その愛おしい光の粒子をいつまでもじっと見つめ続けた。

失くしてしまったものは二度と現実の私の手元には戻らないけれど、それがどこかで美しく生きているなら、それでいいと思えた。

美術館を一歩外に出ると、それまで激しく吹き荒れていた風はすっかり止んでおり、絵の中と同じ本物の澄み切った青空がどこまでも広がっていた。

私はその日を最後に、美術館を訪れるのをやめた。

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