旅路の途中で、私は「ささやきの入江」と呼ばれる湖に立ち寄った。
水際に腰を下ろし、旅の疲れで熱を持った足を冷たい水に浸そうとしたとき、指先に硬いものが触れた。
引き上げてみると、それは泥にまみれたガラスの瞳を持つ小さな木彫りの人形だった。
年月を経て服は擦り切れ、片方の腕を失っていたが、その瞳だけは星のように澄んだ光を宿している。
かつてはかなりきれいな人形であったことがうかがえた。
私がハンカチで人形の顔の汚れを拭った。不意にその小さな唇がかすかに震える。
「ありがとう、旅人さん。おかげで視界がすっかり明るくなりました」
少女のように可憐な声が、私の頭の中に直接響き渡り、私は驚いて思わず人形を落としそうになった。
「……この人形が喋っているのか」
私がつぶやくと人形は私の手のひらの上で器用に首を傾げてみせた。
「ええ。私はリリ。かつてある偉大な魔術師が作り出した、旅の記憶を記録するための器なのです。これまで多くの旅人の荷袋を間借りして、世界中の美しい景色をたくさん見てきました」
その言葉通り、リリの瞳を覗き込むと、そこには見たこともない色彩の砂漠や、雲の上に浮かぶ巨大な宮殿が万華鏡のように映し出された。
「そんなすばらしい経験をしてきたきみが、なぜこんな寂しい水辺に置き去りにされているんだい?」
私の疑問に、リリはガラスの瞳を少しだけ翳らせ、湖の水面を見つめた。
「最後の主だった詩人が、この湖で旅を終えたのです。彼は突然私をここに残して、静かに眠りにつきました」
ここで亡くなったということか……。
「それ以来、私はこうして水辺に座り、旅人たちとの思い出を古い歌のように思い出しながら過ごしています」
リリの語る声はどこかさみしげで、それでいて不思議な安らぎを私に与えてくれた。
「アルス」
リリが私の名を呼んだ。名乗った覚えはないが、まったく不快には感じなかった。
「すてきな旅人さん、もしよければあなたのこれまでの旅の話を私に聞かせてくれませんか」
彼女の強い眼差しに誘われて、私は自分が旅をしてきた雪深き北の地や、大地の裂け目に作られた地下都市の話をした。
おいしい果実の味や、夜空を彩る七色のオーロラの美しさを、言葉を紡いで彼女に伝えていく。
私が語るたびに、リリの身体からは淡い黄金色の光が溢れ出し、音楽の余韻のように周囲をゆらめいた。
「なんて美しいのでしょう。あなたの旅は、まるですばらしい音楽のようですね」
リリは嬉しそうにつぶやき、私の指先にその小さな木彫りの手をそっと重ねた。
「アルス、あなたはすばらしい旅人。私をあなたの仲間に加えてはくれませんか、私のこの瞳に、もっと新しい世界を映したいのです」
「歓迎するよ、リリ、きみのような相棒がいれば、これからの旅が何倍も楽しくなる」
私がそう答えた瞬間、リリの身体がまばゆい光に包まれ、そのまま水面へとふわりと浮かび上がった。
湖の水が生き物のように動き、リリの失われていた片腕の代わりに、透き通った水の義手を作り上げていく。
さらに、彼女の擦り切れたドレスは、湖の波紋を編み込んだような美しい青いローブへと変化した。
「水の精霊たちが、新しい旅立ちを祝福してくれているようです」
光が収まると、リリは水の腕を器用に動かしながら、私の肩へと軽やかに飛び乗った。
その木の身体からは、まるで温かな生命の鼓動が伝わってくるようだった。
「思っていた通り、きみは美しいね」
リリははにかんだように微笑んだ。
「さあ、行きましょう、アルス。私にはわかるのです。世界の果てに、まだ誰も見たことのない奇跡があなたを待っています」
私は肩の上の小さな相棒に微笑みかけ、再び果てしない旅路へと力強く歩みを進めた。
私たちの前には、どこまでも続く青い空と、心地よい風が吹く新しい道が広がっていた。


コメント