山からなんかきた日、俺はちょうどプリンを食べていたが、そのことはこのエピソードにまったく関係ない。
とにかくそれは突然、町の放送スピーカーから始まった。
「えー……山から……なんか来ています。以上」
以上じゃない。「なんか」ってなんなんだよ。熊か? 避難すべきか?
情報というのはちゃんと目的を持って発信すべきだ。
窓の外を見ると、巨大な影がゆっくり町に降りてきたところだった。化け物じゃないか。
長い手足、青白い顔、そして妙に丸い目。
「これは大変だ!」と思ったが、よく見てみるとヘラヘラ笑っている。なんかムカつく。
「やあ、人間。ボクは『山からきたなんか』。何かはボク自身にもわからないよ。みんな、よろしく」
なんだ。人間の言葉を話すじゃないかと、一瞬ホッとしかけたが、全然ホッとできる状況ではない。
正体不明の化け物はなぜか目が合ってしまった俺の家の横の空き地に居座った。
しかし翌日、目が覚めると「なんか」はタコになっていた。
「海に帰りたい」
いや山に帰れよ。
町の人は混乱し、タコのまま商店街を歩く「なんか」に道をゆずる始末。だが当の本人は楽しそうで、八本の足を器用に使いながら薬屋のマスコットの前でポーズを決めていた。
さらにその翌日、なぜか犬に変わっていた。
「ワン! 今日の気分はこれ!」
気分で変わるのか。
しかも散歩を要求し、俺のズボンを噛んで引きずる。俺は犬を散歩しているのか、「なんか」に散歩されているのか、よくわからない状況になっていた。
三日目、「なんか」は塩袋になっていた。うん? 何ていえばいいのかな、要するに袋入りの塩なんだけど……。調味料の。脈絡がなさすぎて困惑する。
「今日はこれで行く!」
行くってどこへ?
袋のままピョンピョン跳ねながらコンビニに向かう塩を追いかける俺。店員は真顔で言った。
「袋の塩が……入店されました」
そんなことわざわざ言うな。
四日目はまさかのおでんの大根になっていた。
「染みてきた〜」
染みてきたって何? 山から降りてきた頃の恐ろしさは跡形もない。むしろおいしそうである。
五日目、「なんか」はトランペットになった。
ただのトランペットなのだが、音が勝手に鳴る。
「プボォォ!! ボク今日は金管楽器!!」
通学中の小学生が喜んで吹こうとしたら、「いやだ。触んないで! 潔癖症なんだから」と叫んだ。金管楽器のくせに吹かれるのが汚いと思っているのか。
六日目、「なんか」は巨大なスリッパに変わった。
「乗って!」
「は? なんで?」
「なんか」は強引に俺をすくい上げて乗せると、たちまち空に舞いあがった。町が小さく見える。スリッパのくせに空を飛ぶとは――スリッパのことを何か勘違いしている可能性がある。
「人間、ボク……なんで毎日変わるんだろう」
空の上で、スリッパはしんみりと言った。
「意図的にやってるんじゃないのか?」
「タコとか塩とか、そんで今日はスリッパ……明日は何だと思う?」
「それは知らんよ」
本音が出た。スリッパは「そっか……」と沈黙する。ここは親身に聞いてやった方がよかったのか?
七日目、「なんか」はゼリーになった。ぷるぷる震えている。ここまで大きいと自重で潰れそうなものだが、かなりしっかりしていた。
「ぷるぷるしてる〜。今日のボク、食べられそう〜」
「食べんだろ、誰も」
ゼリーに見えても化け物である。それは町中に知れ渡っている事実だ。
それでもゼリーは体をぷるんぷるんさせながら町を散歩した。太陽の光でキラキラ輝いて、なぜかやたらと神々しい。
突如、すれ違ったおばあちゃんがゼリーを拝み始めた。
八日目、「なんか」はなぜか公園のすべり台になった。
「すべって〜」
子どもたちが無邪気にすべるたび、すべり台は「あっはははは!」と笑う。笑い方が怖い。
九日目、「なんか」は急に人間の姿になった。
「やあ。これは人間の姿だね。きみとおんなじだ」
普通の青年っぽい。しかも同じ年くらいで、そこそこイケメン――というか、中性的でオスかメスか判断がつき難い。やはり「なんか」は「なんか」で、意味不明な存在なんだな。
「ボク、気づいたんだ。毎日変わるのは……ボクが自分探ししてるからだって!」
いや、そういうのは山で探してくれんかな。
「自分が何者なのか、ずっと探してた。でも今日は答えがわかった」
「ほお」と俺は思わず声を漏らした。「なんか」は胸に手を当てて言う。
「ボクは……ボクだぁ!」
「ふーん」
もはやツッコミを入れる気力もない。
「だから明日からは変わらない思うよ」
そう言って「なんか」は晴れやかな笑顔を見せた。
だが翌朝。
俺の家の玄関前に、巨大なフラミンゴが立っていた。
「おはよう! 今日フラミンゴだった!」
俺は特に何の感慨もなくフラミンゴを見あげる。フラミンゴは羽ばたきながら言った。
「人間、これからもよろしくね〜。ボクまだまだ変わるよ〜。だってボクはまだボクが何かわからないからね」
自由すぎる――が、それが真理か。俺も自分が何かなんてわかっちゃいない。
そしてフラミンゴは飛び上がり、空へと消えていった。
残された俺はただひとつ確信した。明日もきっと、「なんか」は何かわからないし、俺も俺がわからない。
だから、たぶん――明日がちょっと楽しみなんだ。



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