#614 宇宙チャーハン

SF

漆黒の宇宙空間を小型探査艇が力なく漂っていた。宇宙探査士のレイは、操縦席で深くため息をついた。

「よりによって、こんな銀河の果てで燃料切れ。おまけに食糧まで底をつくなんて……」

主推進炉はとうに沈黙し、反応質タンクの残量表示はゼロを示していた。

補助電源は生命維持装置を最低出力で動かすだけで精いっぱいで、姿勢制御スラスターを一秒吹かせる余裕すらない。

帰還用ワームホールの投入座標までは、あとわずか二十万キロ。宇宙の尺度では目と鼻の先だが、今のレイには何よりも遠かった。

通信機からはザーザーと不気味なノイズが流れるだけ。窓の外には、ただただ冷徹な星々が輝いている。

仕事柄、いつかこうなる可能性もあると覚悟はしていたが……せめて苦しまずに死にたい。

数日間の絶食で、レイの胃袋は悲鳴を上げる気力すら失っていた。薄れゆく意識のなかで、彼は地球に残してきた母親の得意料理を思い出していた。

強火でパラパラに炒められた、黄金色のチャーハン。あの香ばしい匂いをもう一度だけでいいから嗅ぎたい。

その時、かろうじて生きていたらしい探査艇のセンサーが熱源を感知した。

レイが重い目を開けると、窓の向こうに、およそ宇宙空間には似つかわしくない赤色のネオンサインを掲げた船があった。

『銀河飯店』

その文字は地球文字になったり、火星文字になったりと、様々な文字に切り替わりながらクルクルと回っていた。

暖簾の代わりなのか、青く輝くプラズマのカーテンが揺れ、船が横付けできるようになっているのが見える。

レイは幻覚を疑った。しかし気づいた時には、探査艇はゆっくりと進み始めていた。自力航行ではない。外部からの牽引場が、船体をやさしく包み込んでいる。

レイは最後の力で姿勢制御だけを同期させ、そのドックへと収まった。

恐る恐るハッチを通り、その奥の自動ドアをくぐると、そこには地球の古き良き町中華そのものの空間が広がっていた。

油じみてはいるが清潔な床、何度も磨かれたようにテカテカのテーブル、カウンター席と赤い丸椅子、そして何より、レイの嗅覚を激しく刺激したのは、まさに夢にまで見た「油とネギが熱せられた香ばしい匂い」だった。

「へい、いらっしゃい。地球人かい。ずいぶんと遠くからお越しだね」

オートマティックトランスレーターがONになり、威勢のいい声が聞こえてきた。

厨房から声をかけてきたのは、3本の腕を持つタコのような姿の宇宙人だった。頭にはご丁寧に白いコック帽をかぶっている。

「あの……何か、食べるものを……。もう何日も何も食べていないんだ」

レイがかすれた声で訴えると、店主は3つの手をパチンと同時に鳴らした。

「お安いご用だ。地球人さんには、うちの名物が一番だよ。うちは地球の『町中華』って店をホログラム資料で見て参考にしたんだからな」

レイは力なく近くの椅子に座り込んだ。

店主は壁に貼ってある紙を見ながらふむふむとうなずいている。

「心配しなさんな。地球人が食べられるものはきちんと把握してる。何しろここで1500年はやってるんだ。客に合わせるくらい慣れたもんよ」

それから店主は巨大な中華鍋を火にかけた。その火は、なんと小さな恒星の幼生だった。

凄まじい熱気が厨房を包む。店主は慣れた手つきで、ボウルから「何か」を鍋に投入した。まるでダイヤモンドの粒子のようにきらめく、小さな星の結晶のようだった。

店主が中華鍋を激しく振るうたび、シュワシュワと心地よい音が響き、鍋の中から眩い光の粒子が飛び散る。

「仕上げに、新鮮な彗星の尾をひと回し!」

店主がチューブから透明な液体を注ぐと、鍋の中で小さな超新星爆発が起きたかのような美しい光が弾けた。

「おまちどうさま。特製、宇宙チャーハンだ」

カウンターに置かれた皿を見て、レイは目を見張った。

お椀型に綺麗に盛られたそれは、確かにチャーハンの形をしていた。

しかし、一粒一粒の「米」が、青、赤、金と、まるで天の川をそのまま切り取ったかのように明滅しているのだ。

具材として入っているのは、細かく刻まれた星雲鹿の肉(これは青い肉なので見ればわかる)と、宇宙ネギ。

レイはスプーンを握り、震える手でそれを口に運んだ。

「――っ!」

口に入れた瞬間、優しい温かさと、圧倒的な旨味が脳を突き抜けた。米の代わりであろう白い結晶は口の中でパラパラと心地よくとけ、噛むたびにパチパチと小さな流星が弾けるような食感が広がる。

そして何より、ベースとなっている塩気と出汁の味わいは、不思議なほどに、あの懐かしい母親のチャーハンと同じだった。

「うまい……うますぎる……」

涙がボロボロとあふれていた。レイは夢中でスプーンを動かす。

「本当に死ぬかと思っていたんだ」

涙がとまらない。食べるごとに、干からびていた細胞がみるみる力を取り戻していく。

地球から何千万光年も離れた暗闇の底で、彼は確かに「家」を感じていた。

あっという間に一粒残さず平らげると、レイは深く息を吐き、店主に向かって頭を下げた。

「ごちそうさまでした。命を救われました。でも……俺、支払いに使えそうなものを何も持っていないんです」

宇宙通貨というものがあるにはあるが、あまりにも宇宙人たちが多様なので、きちんと流通しているとはいえなかった。

非常用のタンザナイト片も、ジルコン粒も、調査先での補給と交換に使い切っている。

決済リングには銀河標準クレジットの残高があるはずだったが、この宙域では通信照会すら通らない。

皿洗いか何かで勘弁してもらえないだろうか……。

そっと店主を見上げると、彼は3本の腕を組んで、ガハハと笑いだした。

「気にするな。うちは迷子からは金をとらねぇ主義なのよ。お前のその満足そうな笑顔が最高のエネルギーさ。まぁ、代わりといっちゃなんだが、気が向いたら地球でうちの宣伝でもしといてくれよ。ほら、お前の船の燃料も、厨房の排熱を熱回生炉で変換して補給しておいたからよ」

店を出て、再び探査艇の操縦席に戻ったレイは、驚くほど体が軽くなっていることに気づいた。

計器を見ると、燃料ゲージは満タンを示している。

生き返った通信機からは、地球の管制室からの声が入りはじめた。

「ザッ、ザーッ……せよっ! 探査艇A-56、応答せよ!」

レイはあわてて通信機に取りつく。

「こちら探査艇A-56号、レイ=ミィェッリツィア。これより第64銀河ワームホールを通り帰還する」

レイが無事であることを知った通信士たちから、ほっとしたようなため息が聞こえた。

レイは店の場所を記録するために座標錨を打つ。それからスロットルを勢いよく押し込んだ。

探査艇は、まるであのチャーハンのように、一筋の美しい光の尾を引いて、故郷の星へと力強く滑り出した。

レイは必ずあの店を地球で一番有名な宇宙料理屋として広めると決意した。受けた恩は忘れない。

握りしめたショップカードからは銀河飯店のホログラム画像がキラキラと立ちあがっていた。

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