怪しげな骨董品が乱雑に並ぶ露店の奥で、そのダイスは静かに怪しい光を放っていた。
透明な結晶の中に真鍮の緻密な装飾を封じ込めたそのダイスは、どこか神聖でありながら不気味な雰囲気を漂わせている。
店主の老人は不敵な笑みを浮かべ、「これは望む運命を引き寄せる奇跡のダイスじゃ。ただし、その目に応じた対価を支払うことになる」と囁いた。
しがない見習い剣士のアルトは、半信半疑のまま金貨数枚を払い、そのダイスを手にした。
ずっしりとした金属の重みが手のひらに伝わり、冷たい感触が皮膚の奥まで刺さるようだった。
老人の言うダイスの力を信じたというよりは、その美しさに抗いがたい所有欲を刺激されたのだ。
数日後、アルトは単身で隣町の討伐依頼を引き受け、深い森へと足を踏み入れた。
だがそこで運悪く、十頭を超える凶暴なオークの群れと遭遇してしまう。
鋭い斧を振り上げる巨体に取り囲まれ、逃げ場を失ったアルトは死の恐怖に直面した。
追い詰められた彼は、何もしないよりはと考え、ポケットの中のダイスを投げつけた。
ダイスは地面を転がり、上面に浮き上がって示されたのは「4」の数字だった。
その瞬間、晴れ渡っていた空から猛烈な竜巻が発生し、オークたちを一網打尽に吹き飛ばしていった。
圧倒的な風魔法の威力に言葉を失い、アルトは腰を抜かし、やがて胸をなで下ろした。
しかし安堵したのも束の間、腰に下げていた愛用の長剣が不気味な音を立てて砕け散ってしまった。
父から譲り受けた大切な長剣だ。それが跡形もなく砕け散ったのだ。
「これが対価か……」
アルトはダイスの力に恐怖を感じた。
あのままでは死んでいたのだから、選択は間違っていなかった。しかし、命拾いをしたという思いとは別に、失った物を惜しむのが人間というものだ。
出目が大きいほど絶大な奇跡が起きる代わりに、所有者にとってかけがえのないものが対価として奪われる。
それ以来、アルトは何かを失う恐怖からダイスを固く封印し、命の危険があるとき以外は決して頼らないと心に誓った。
ダイスを使うはめになることを恐れた彼は、死に物狂いで剣技の訓練と魔力の修行に明け暮れた。
やがてアルトは様々な経験を積み、優秀な魔法使いリナと頼れる重戦士ガルクという仲間を得た。
そして三人は冒険を通じて固い絆で結ばれ、やがて前人未到とされる古代遺跡の調査依頼に挑むこととなったのだ。
入り組んだ地下迷宮を進み、最深部の祭壇へ辿り着いた時、突如として激しい地響きが轟いた。
崩れ落ちた巨大な石壁の奥から姿を現したのは、かつて世界を滅ぼしかけたとされる伝承の魔獣・暗黒竜であった。
黒銀の硬い鱗を纏う巨体から放たれた灼熱の息が、ガルクの頑丈な大盾を一瞬でドロドロに溶かしていく。
リナが全魔力を注ぎ込んだ防護結界も、竜の鋭い爪の一撃で脆くもガラスのように破砕された。
「逃げろアルト! こいつは僕たちの力でどうこうできる相手じゃない!」
吐血しながらガルクが叫ぶが、崩落した瓦礫によって退路は完全に塞がれていた。
暗黒竜は牙を剥き出しにし、絶望的な咆哮とともに倒れ込んだ二人へとどめを刺そうと巨大な前脚を振り下ろす。
仲間たちが押し潰されそうになったその瞬間、アルトの指先がポケットの奥で眠っていたダイスに触れた。
血の滲むような努力で鍛え上げた己の力も、この圧倒的な暴力の前には何の意味もなさなかった。
何を失っても構わない。
大切な仲間たちの命を救えるのなら、どんな代償でも払うと、アルトは瞬時に覚悟を決めた。
「みんなを助けてくれ!」
アルトは魂の底から叫び、暗黒竜の足元へ向かって持てる限りの力でダイスを投げつけた。
ダイスは石畳の上をバウンドしながら転がり、上に浮き上がったのは黄金に輝く「6」の出目だった。
その瞬間、天から眩いばかりの神聖な光の柱が降り注ぎ、薄暗い遺跡全体を黄金色に照らし出した。
光は暗黒竜の巨体を包み込み、その凶暴な邪気を浄化しながら、暗黒竜を封印の陣へと還していく。
同時にアルトたちが負った傷がみるみる癒されていく。
暗黒竜は叫びを上げる間もなく光の粒子となって消滅し、崩れた遺跡を深い静寂が包み込んだ。
奇跡的な勝利にガルクとリナは呆然と立ち尽くし、「助かったのか……?」と掠れた声で呟いた。
しかしアルトは安堵するどころか、最高の出目「6」を出してしまった恐怖でガタガタと膝を震わせていた。
仲間の命を除けば、俺にとって一番大切なものは……なんだ?
「4」で大切な剣が砕けたのだから、「6」ではもっと大切なものを失う。
アルトは自身の大切なものに思いをはせた――剣士としての経験や信頼……いや、もっと大切な仲間たちとの思い出?
仲間たちからアルトとの思い出のすべてが奪われるのかもしれない。いや、自分の記憶も?
アルトは吐き気がするほどの恐怖を感じて、その場で膝をついた。
「アルト! 大丈夫か!」と駆け寄ってくる仲間たちは心底アルトを心配しているようだった。
「どうしたんだ、急に。さっきの魔法はなんだ?」
仲間たちの声が遠のいていく。
そのとき、手にしていたダイスに亀裂が入った。
透明だった結晶が真っ白に濁り、サラサラとした光る砂となって指の間から落ちていく。やがてそれも風に舞い消えてしまった。
ダイスが求めた対価、それは他でもない「ダイス自身の存在」だったのだ。
奇跡の道具は、最大の奇跡と引き換えに自らを永遠に消滅させたのだった。
アルトは深く長い息を吐き出した。それから、なんだかおかしくなってきた。
どうやらあのダイスは、自分こそがアルトの持つ何より価値あるものだと思っていたらしい。
「自尊心の高いダイスだったな」
アルトはこらえきれずに、大きな声で笑い出した。
「何? どうしたのよ」
リナもつられたように笑い出す。
「笑ってる場合じゃないぜ。盾も装備もボロボロだ」
ガルクがおどけたように肩をすくめる。それがおかしくて、アルトはさらに笑った。
彼は力強く剣を握り直し、仲間たちとふざけ合いながら、光の差す出口へと歩き出した。


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