ぞわっとする

ちいさな物語

#587 誘人木

去年の秋のことだ。引っ越してきたばかりの一軒家の庭に、見慣れない木が一本立っていた。不動産屋に聞いても「前の住人が植えたんでしょう」と言っただけだった。樹高は2メートルほど。幹は妙にねじれていて、葉は濃い緑なのに光の当たり具合によっては青み...
ちいさな物語

#586 5秒先の未来

駅前の騒がしい居酒屋で、3杯目のハイボールが空いた頃だった。いつも穏やかで、社内でも「仏の斎藤」と慕われる先輩が、グラスの縁をなぞりながら妙なことを言い出した。「実はさ、俺、5秒先が見えるんだよね」酔っ払いの世迷い言だと思った。私は適当に相...
ちいさな物語

#583 風の楽器

その国の西のはずれに、風の鳴る谷と呼ばれる場所がありました。谷は細長く、大地を裂くように伸びていて、底はどれほど目を凝らしても見えません。谷に近づくと、いつも風が吹いています。強い日も、弱い日も、風は必ず音を立て、まるで誰かが笛を吹いている...
イヤな話

#575 いいわけ屋

都会の喧騒から取り残されたような、湿った路地裏の奥、古いコインランドリーと、看板の消えかかったスナックに挟まれた場所に、その店はあった。錆びついた鉄の扉には、控えめな手書きのプレートが下がっている。「いいわけ ご調整いたします」佐藤は、震え...
ちいさな物語

#567 会議室の完璧な存在

その機械が一般企業の会議室に普及して以来、ビジネスマンの仕事への姿勢は頭上のホログラムによって丸わかりになってしまった。SG(スリープ・ゲージ)――脳波から睡眠欲求を読み取り、ゼロから100までの数値で可視化する装置。それは、個人の体調管理...
ちいさな物語

#548 闇の中の声

今日は少しだけ残業かなと思ったとき、地震が来た。初めはすぐ収まると思った。――が、その瞬間、ビル全体が獣のような音を立ててうねりだす。照明が一斉に消え、非常灯すら見えない。気がつくと辺りは真っ暗だった。闇は、思っていたよりも濃い。自分の手を...
イヤな話

#537 幸福の抜け殻

隣の芝生は青い、という言葉がある。だが、私の家の隣にある芝生は、青いどころか発光しているんじゃないかと思うほどに眩しかった。数年前に越してきた工藤家のことだ。旦那さんは大手商社勤務で、毎朝爽やかな笑顔でジョギングを欠かさない。奥さんは料理上...
ちいさな物語

#535 ビジネスホテル奇譚

出張で地方都市のビジネスホテルに泊まった夜のことだ。エレベーターを降りると、薄暗い廊下の奥に402号室があった。――部屋の番号が不吉すぎる。4階の2号室なんて、怪談に出てきそうな部屋番号ではないか。そんなことを考えていたからだろうか、部屋に...
ちいさな物語

#534 折り鶴の悪魔

あの時の話をすると、決まってみんな笑うんだ。「ストレスで頭がおかしくなったんじゃない?」なんてね。でも嘘でも冗談でもない。本当に起きたことなんだ。聞いてほしい。あれは、まだ寒さの残る春先の午後だった。その日、会社で腹の立つことがあった。いや...
ちいさな物語

#531 恐れるべきもの

幼いころから幽霊が見えると言うと、人は決まって「え、怖くないの?」と聞いてくる。正直、怖いというか――意味がわからない。そもそも本当に幽霊と呼んでいいものなのかもよくわからない。元は生きていた人間という証明がどこにもないし、その「幽霊」自身...